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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)9386号 判決

原告 井桁一郎

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 高木右門

同 本島信

被告 田中寅雄

右訴訟代理人弁護士 堀場直道

同 堀場直一

主文

原被告間において、別紙目録記載の土地が原告らの所有であることを確認する。

被告は原告らに対し、別紙目録記載の土地につき昭和二六年五月二六日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一双方の申立

A  原告

(第一次請求)

主文同旨の判決を求める。

(第二次請求)

一 主文第一項同旨。

二 被告は原告らに対し、別紙目録記載の土地について起算日昭和二六年一二月一七日付の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

B  被告

原告らの請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二請求原因とその認否

A  原告

(第一次請求)

一 原告らの父である亡井桁平三郎は昭和二六年五月二六日、被告との間で次の通り被告所有にかかる土地の売買契約(以下「本件売買」又は「本件契約」という。)を締結した。

(一) 目的土地

(1) 東京都渋谷区本町二丁目五番四  宅地  四七・〇二坪

(2) 右同所 五番五  宅地  八四・一六坪

(3) 右同所五番九(別紙目録記載の土地)  宅地 一六四・八一坪

(二) 価格 合計金二〇万六五〇〇円

二 平三郎は右売買代金の内金一〇万円を同年五月二六日に、残代金一〇万六五〇〇円を同年一二月一七日に被告に支払った。

三 被告は昭和二九年二月一日に前記目的土地中(1)について、昭和三三年六月一八日に同(2)について、それぞれ所有権移転登記手続を履行したが、同(3)即ち別紙目録記載の土地については、未だに履行しない。

四 平三郎は昭和三六年八月一五日死亡し、原告らが相続により別紙目録記載の土地の所有権を取得した。

五 よって原告らは被告に対し、別紙目録記載の土地が原告らの所有であることの確認及び同土地について昭和二六年五月二六日付売買を原因とする所有権移転登記手続をなすことを求める。

(第二次請求)

一 井桁平三郎は前記売買代金完済の日である昭和二六年一二月一七日以降、前記売買目的土地の全部につき所有権を取得したものとして所有の意思をもって占有を始めた。即ち平三郎は昭和二七年一月以降、前記各土地につき従前は賃貸人であった被告に賃料を支払っておらず、被告も原告に対し賃料の支払を請求したことがない。

二 平三郎は昭和三六年八月一五日死亡し、原告らは右平三郎の占有を承継し現在に至った。

三 従って原告らは、右昭和二六年一二月一七日から一〇年を経過した昭和三六年一二月一七日に別紙目録記載の土地の所有権を時効により取得した。平三郎が前記占有開始時に悪意であったとしても、二〇年を経過した昭和四六年一二月一七日に右土地の所有権を時効取得した。

四 よって原告らは被告に対し、別紙目録記載の土地が原告らの所有であることの確認及び同土地について起算日を昭和二六年一二月一七日付の時効取得を原因とする所有権移転手続をなすことを求める。

B  被告

(第一次請求)

一 請求原因第一項は目的土地の地番・坪数及び(1)の土地を同日、金二〇万六五〇〇円で売却したことは認めるが、他の土地については否認する。(2)の土地は昭和三三年二月一七日付売買により原告に売却したものであり、(3)の土地は原告に売却したことはない。

二 同第二項は認めるが、これは(1)の土地の売却代金として受領したものである。

三 同第三項も認めるが、(1)の土地については訴外井桁金網株式会社に移転登記したものである。

四 同第四項は不知。同第五項は争う。

(第二次請求)

一 請求原因第一項は否認する。別紙目録記載の土地については昭和二七年一月から昭和三四年五月二四日まで賃料を受領している。

二 同第二項は不知。

三 同第三項、第四項は争う。

第三当事者間に争いのない事実関係

一  被告の父である亡田中六太郎は大正八年五月二四日、井桁平三郎に対し、現在東京都渋谷区本町二丁目五番四、同五番五、同五番九となっている宅地約二九六坪を賃貸した。井桁平三郎はそのころより、同土地上に工場を建設して金網製造業を営んでいた。田中六太郎は昭和一〇年一一月九日死亡し被告が賃貸人の地位を承継した。

二  被告は昭和二二年六月一〇日、五番四の土地を財産税の支払いのため大蔵省に物納し、右土地は昭和二八年に大蔵省より井桁金網株式会社に払い下げられた。

三  東京都が水道道路を建設するに伴って、五番四の土地に隣接する部分が同地の名義人である井桁金網株式会社に払い下げられることになり、昭和三一年三月八日には渋谷区本町二丁目五番一、同五番三の各土地が昭和三三年三月八日には同五番二の土地が、それぞれ払い下げられ、いずれも同年八月二六日に所有権移転登記手続がなされた。

第四間接事実上の主要争点

A  原告

一  本件売買に至った経緯は、被告が当時神田の井桁平三郎の住所を訪れ、平三郎に対し「財産税の支払いに窮しているので、全工場敷地を買い取ってもらいたい。」と懇請してきたので、平三郎はこれに応じて被告から賃借中であった全工場敷地(前記五番四、五番五、五番九)を買い取ったものである。

二  売買代金が坪当たり七〇〇円であるのは、当時の価格としては妥当なものである。

三  水道道路建設工事(淀橋浄水場への送水路を取り毀して道路にする工事)は一部では昭和二四年頃から始まっていたが、遅々として進まず、五番四の土地の先の送水路が撤去されたのは昭和三二年頃であり、送水路全部の撤去が終了したのはさらにその数年後である。道路工事は昭和三〇年頃になって漸く始まったものであり、従って昭和二六年当時井桁平三郎は右道路工事を知らず、まして土地の払下げを想定することは不可能である。

四  平三郎が昭和二六年一二月一七日に残代金を支払った際、一〇、一一、一二月分の地代として金二二一二円が支払われているが、右地代は五番四、五番五、五番九の土地の坪当り一箇月三円の割合による地代であり、一二月分は半月分のみが支払われている。以後被告に対して賃料は一切支払っていない。

五  昭和二六年当時、井桁平三郎は五番四の土地が大蔵省に物納されている事実を知らずに被告より買い受けたものであり、昭和二八年に大蔵省より払下げの通知があって初めて右事実を知り、払下げ代金を被告に支払わせて大蔵省より払下げを受けたものである。

六  五番五の土地については、昭和三三年二月一七日付の売買契約書が作成されているが、これは同土地について所有権移転登記後、被告が原告一郎に対し、税金対策上必要だから右売買契約書に捺印してくれと求めて来たものであり、右目的以外に決して使用しない旨を確約したので原告一郎が右書面に捺印したものであり、昭和三三年に同土地が売買されたことを証明するものではない。

B  被告

一  昭和二六年に五番四の土地を売却するに至った経緯は、次の通りである。

当時、五番四の土地の南東には送水路の土手があり北東面の道路は細く、金網工場を経営していた井桁平三郎は非常な不便を感じていたところ、右送水路が撤去されて現在の水道道路が作られることが明確になり、右道路が完成すれば五番四の土地は甚だ便利になる上、右道路と五番四の土地の間の土地(後に五番の一ないし三となった部分)が五番四の土地所有者に優先的に安価で払い下げられることになったため、平三郎は被告に対し右土地を高価でもよいから是非売ってくれるよう申し入れてきた。被告は、右土地は既に物納されている旨述べて一旦これを拒否したが、たっての希望のため、被告は右土地の物納を撤回するか、被告への右土地の払下げを求めないこととし、借地人である平三郎に払下げ通知があったときは右土地の払下げに要する費用一切を被告が負担することにし、五番四の土地を平三郎に売却したものである。

二  五番四の土地の売買価格は坪当り約四四〇〇円であるが、これは右事情及び当時の地価からみて妥当なものである。

三  被告が昭和二六年一二月一七日に受領した地代二二一二円は五番五と五番九の土地の坪当り一箇月三円の割合の地代三箇月分である。なお被告はこれ以後も右土地については昭和三四年五月まで賃料を収受した。

四  五番五の土地については、昭和三三年二月一七日に井桁金網株式会社と被告との間で、代金二九万四五六〇円で売却する旨の契約を締結し、その際井桁平三郎が右売買のための契約書を作成したものである。なお、右金額は対税上のもので実際の売買代金は右金額より高額であった。

第五証拠関係《省略》

理由

一  本件の最大の争点は、成立に争ない甲第一号各証による土地売渡代金の合計額金二〇万六五〇〇円が、原告ら主張のように渋谷区本町二丁目五番四(以下「五番四の土地」という。)・五番五(以下「五番五の土地」という。)・五番九(以下「五番九の土地」という。)の全部を合せたもの(以下「本件三筆の土地」という。)に対する対価であるのか、被告の主張するように五番四の土地のみに対する対価であるのかという点である。原告井桁一郎本人及び被告本人はそれぞれの主張に即した内容の供述をしているが、供述全般を通じ細部にわたって齟齬するところが多く、徴表的諸事実の助けを借りなくては容易に心証を形成し難い。

二  まず、当事者間に争ない売買代金二〇万六五〇〇円から出発するとして、坪当り単価は原被告それぞれの主張でどうなるであろうか。

原告らは、二九五坪・坪当り七〇〇円でちょうど二〇万六五〇〇円になると主張する。

ところで、本件三筆の合計面積は約二九六坪となる。もっとも五番九の土地は当時は本町二丁目五番六の一部であって、後(昭和四八年六月二六日)に原告らの仮処分によって分筆せられたものであることが成立に争ない甲第三号証の六によって認められるので、契約当時の坪数は、井桁平三郎が被告から賃借していた土地範囲から考えられなくてはならないが、成立に争ない乙第一号証及び被告本人の供述により成立を認める乙第二号証によれば、借地面積は二九六坪であったと認められ、原告一郎本人の供述によって成立を認める甲第四号証によって、この二九六坪が平三郎の経営していた金網製造工場の敷地であったことが明らかであり、原告一郎本人の供述を合せれば、当時の工場敷地が右三筆の範囲と合致することが認められる。

このように、両当事者共二九六坪と認識していた借地面積を二九五坪として計算したというのは多少腑に落ちぬ感じが残ることは否めない。しかし、後に(後四)認定する宮本久弥の借地買取において、地積二〇一坪六勺を二〇〇坪として計算された例もあることを考え合せると一坪減の計算を特に不合理と見ることはできず、殊にこの取引を平三郎からではなく被告の方から持ち出したとすれば(後四)、尚更そう言えることになる。

他方、被告主張に従うと、五番四の地積四七坪五合二勺では坪当り四三四五円五三八七……となり、地積を概数として四七坪としても、四八坪としても割り切れる数値を得ることができない。もちろん、一応の金額を算出して後に増減額することも取引上ありうるであろうが、その場合には六五〇〇円というような端数を残さないのが普通であろう。被告が二〇万六五〇〇円の算出根拠を示さない限り、原告ら主張の方が――一坪の違いはあっても――納得がゆくとせねばならない。

そこで残るのは、坪当り七〇〇円と四三四五円余という二つの価格の比較であるが、被告はこのような高い単価に平三郎が甘んじた理由につき説明するところがあるので、価格の点は次節の問題を検討して後に改めて取り上げることにする。

三  前示の通り本件三筆の土地が工場敷地であったとすると、底地を買うなら三筆とも買うのが本来であろうから、そのうち五番四の土地一筆だけを買うというのは、何らか特段の事情がない限り不自然である。ところが、被告は、その特段の事情として、水道道路の造成による地価の値上りが予想されていたこと及び水道道路建設工事による残地としての本町二丁目五番一・同番二・同番三の払下げが五番四の土地の所有者になされることを挙げ、平三郎としては五番四の土地だけを取得することも有意義であったし、さればこそ時価より著しく高い坪当り単価にも辟易しなかったのだ、と主張するのである。

水道道路の建設時期等について証拠を按じると、公署作成部分は成立に争なくその余の部分は被告本人の供述によって成立を認める乙第一一号証によれば、渋谷区幡谷本町二丁目地内(本村隧道側)の玉川上水路跡道路工事が昭和二六年七月二日以降行われたことが認められるが、公署作成部分は成立に争なくその余の部分は原告一郎本人の供述によって成立を認める甲第一九号証、成立に争ない甲第二〇号各証並びに証人未永允の供述及びこれによって成立を認める甲第二一号証を併せ考えると、右玉川上水路跡道路工事なるものは、高さ数メートルの盛土の上に敷設されていた送水管を撤去し、盛土を除去搬出する作業と周囲と同じ高さになった跡地を道路に造成する作業とに分れ、まず前段階の工事を笹塚から新宿に向って終ってから、後段階の工事を逆方向に進めたものであるが、本件五番四の地先の四号橋付近は昭和三一年六月頃まだ前段階の工事中であったことが認められ、従って昭和二六年五月の本件売買当時に右道路造成による効果をどの程度具体的に把握できたか心証を得難い。もちろん、路線は決定しているのであるから将来の値上りを予測する可能性があったことは確かであるが、特に五番四の土地だけを買い急ぐほどの具体性があったとは必ずしも考えられないのである。

また、残地払下げについては、成立に争いない甲第一一号証の一・三、平三郎名義の部分につき井桁一郎の作成として成立を認める同号証の二、成立に争ない乙第九・一〇号証及び原告一郎本人の供述によれば、前示五番一ないし三の残地三筆が原告らに払い下げられたことが認められ、内藤証人の供述によって成立を認める甲第六号証並びに原告一郎本人の供述及びこれによって成立を認める甲第七号証によれば、右残地三筆が本件三筆の土地と一体になって原告らの経営する井桁金網株式会社(昭和二三年九月八日設立)の工場敷地として使用されていることが認められる。従って、右残地三筆が原告側にとって利用価値の多いものであることは疑を容れる余地がなく、その払下げが「隣地所有者」即ち五番四の土地の所有名義人である井桁金網株式会社への優先払下げの取扱いであったことも前示甲第一一号証の一で明らかであるので、これは一見被告主張に有利な徴表のようである。しかし、何が故に平三郎が殊更に五番四の土地だけを買おうとしたのかという疑問に対しては説得力ある解答にはなっていない。ここで問題になっているのは五番四の土地を買うか別の土地を買うかということではなく、五番四の土地を合せて借地全部を買うか五番四だけを買うかということだからである。

この場合考えられる一つの答は、平三郎ないし井桁金網株式会社に当時全部を買い取る資力がなかったということであるが、それを示唆する証拠は存在しない。

四  ここで、本件の土地売買は原告ら主張のように被告からの買受け要請によるのか、被告主張のように平三郎からの売却依頼によるのかという点を考えてみるに、原告一郎本人は、平三郎からの伝聞として、被告が財産税の納付或は質屋の開業資金の捻出に苦しんで本件三筆の土地(工場敷地)の買取りを申し入れて来たと供述しているが、成立に争ない乙第一五号各証及び被告本人の供述によれば、被告は戦前約一万坪有していた土地の半ばを物納するなどして昭和二二年中に財産税を納付していたと認められるし、また、被告の質屋営業は昭和二五年からであることがその供述から認められるので、前示伝聞の供述は措信できない。しかし、当時被告が弟のために金を作る必要に駆られていたことは被告自身も供述するところであるのみならず、証人宮本久弥の供述及びこれによって成立を認める甲第一三号証、成立に争ない甲第一四・一五号証、同じく同第二二号証によれば、昭和二二、三年頃右宮本の父四次は被告からの申入れで、それまで被告から賃借していた本町三丁目五〇番一四の宅地二〇一坪六勺を坪当り六〇〇円・二〇〇坪の計算で合計一二万円で買うこととし、宮本久弥は二回分割の二度目の残金六万円を昭和二五年一二月二五日被告に支払い、昭和二七年八月一日自己名義に移転登記を得たことが認められる外、昭和二三年から昭和二八年にかけて大房又次外八名の借地人にその賃貸土地を次々売却処分したことが、被告本人の供述(特に原告第七準備書面添付の別表を示してなされた反対尋問の部分)及びこれに徴して成立を認める甲第一六号証、成立に争いない甲第一七・一八号証によって認められるので、本件の土地売買についても、他に特段の事情がない限り被告から申し入れたものと推定することを妨げず、当時金に苦しんでいたことはなく人に頼んでまで土地を買って貰うことはなかった旨の被告本人の供述は、右の推定を覆すに足りない。

五  そこで、先に留保した坪当り単価の問題に戻ることとする。公署作成部分は成立に争なくその余の部分は被告本人の供述によって成立を認める乙第八号証によれば、五番五の土地の昭和二六年度土地台帳価格は一二万六二四〇円即ち坪当り一五〇〇円であって、隣地五番四についても同様と推測される。

右を前提として原告ら主張の坪当り七〇〇円を顧るに、ほぼ妥当と言えよう。蓋し、土地台帳価格は時価を著しく下廻るのが常であるが、仮に時価を台帳価格の倍とし、借地権ある場合の底地割合を三割とすれば、底地価格は九〇〇円となる。本件では借地権の存在には何ら疑なく、その借地権者が底地を買い取る場合であり、前節に見たように売手の方から売買を申し入れたという事情があれば更に下廻って七〇〇円になったとして少しも不自然ではない。

これに反して、坪当り四三四五円余という被告主張の価額は、いかにも納得し難い。先に(前三)見たように、五番四の土地の取得が残地三筆の払下げの関係で原告らに有利であったことは事実であるが、それを考慮に入れても台帳価格の三倍近い価額になることは、借地権者の底地買取りなのであるから、高きに過ぎる。それも右に見たように売手から申し入れた売買なのであるから尚更である。被告本人の供述によって成立を認める乙第一二号証の坪当り三万三〇〇〇円の例は昭和三三年の取引に関し、反証として十分でない。

かようにして、坪当り単価の被告主張には大きな弱点があると言わなくてはならない。

六  ところで被告は、五番五の土地の売買契約書として乙第三号証を提出している。これが真正に成立した有効な契約書であるならば、本件三筆の土地を一括して買い受けたとする原告の主張にとって致命的なものであることになる。

そこで原告らはこれを対税策のため被告側で作成し来って原告側に捺印を求めた虚偽文書であると主張し、平三郎の署名を否認する。対照用文書として提出され、原告一郎本人の供述により平三郎の筆蹟と認められる甲第一〇号証の二の署名と右乙第三号証のそれとを比較すると、一見異筆と思わせるが確言しうるには至らない。売渡人名義については成立に争なくその余の部分は原告一郎本人の供述によって成立を認める甲第九号証の一及び前示甲第一一号証の二と原告一郎本人の供述によって、井桁金網株式会社の社印及び社長個人印と認められるものと右乙第三号証の平三郎名下の印影とが合致しないのは、会社社長名義で作成された文書として稍不審であり、また、成立に争ない甲第三号証の三の通り、五番五の土地の移転登記は昭和三三年六月一八日になされたので、同年二月一七日付の乙第三号証はそれに先立つわけであるが、被告本人の供述によれば、代金の授受はあったというのに、乙第三号証に登記に関する記載がない(不動文字の空欄無記入)のは更に不自然であり、また、被告がこの時の代金受領について預金通帳への入金等の証拠を提出しないのも被告に不利な徴表と言えよう。しかし、これらの疑点はあるにせよ、とにもかくにも偽造と断ずることのできない文書で五番五の土地の売買が契約されているという事実は動かせず、被告主張の説明と正面から抵触する証拠もないので、この証拠に関しては原告らの不利は揺がないと思われる。しかし右のような疑点を生じた以上もはや原告らにとって致命的な証拠とは言えまい。

七  ただ、この際、五番四の土地と五番五の土地とが、成立に争ない甲第三号証の一ないし四に見る通り、登記簿上の取扱いを別々にしていることを以て、原告不利の徴表と見ることは許されない。それは被告本人の供述及び甲第三号証の一で明らかなように、五番四の土地は昭和二二年六月二〇日物納され、昭和二四年一月二九日その旨の登記がされていたので、昭和二八年八月五日の払下げにより井桁金網株式会社に昭和二九年二月一日登記名義が移転するまでは、本来被告所有ではなかったのである。被告本人は平三郎に対して物納してあることを断ったと供述するが、後記(後八)のような賃料収受の事実から推して採用し難い。むしろ原告一郎本人の供述するような、昭和二八年大蔵省から払下げの通知を受けて初めて物納されていたことを知り、驚き且つ怒った末、工場敷地確保のため善処するよう被告に交渉したという経過の方が心証を惹くのである。

従って、五番四の土地とは別扱いで五番五の土地が登記されていることを以て原告らを責めることはできない。しかし、五番五の土地が五番九の土地と一緒に登記されなかったこと、或は、五番九の土地が本訴提起に至るまで登記されずにいたことは、卒直に言って原告に不利な徴表である。原告一郎本人は、自分や弟や姉が交々五番九の土地の移転登記を求めたことを供述するが、文書による請求もなしに十余年というのは余りにも長い期間であると言わなくてはならない。

八  しかしながら、ここで、長年月の放置という点では一層甚しい、被告に非常に不利な徴表があるのを看過することはできない。それは五番九の土地に対する賃料収受の問題である。

その前に、甲第一号証の二に「地代十、十一、十二月分」と注記して二二一二円領収の記載があるので、その意味を検討しておこう。原告ら主張によれば、これは本件三筆全部の分であり、文書作成日付である昭和二六年一二月一七日で三筆の代金が完済され所有権が移転したので、一二月は半月分を支払ったというのである。そして当時の地代が月坪当り三円であったことは当事者間に争がなく、甲第一号証の二では借地坪数は二九五坪として計算されていることは先に(前二)一言した通りであるから、三円の二九五倍を更に二・五倍すると、二二一二円五〇銭を得る。五〇銭は無視して差支えない額であるから、これは十分説得力ある説明と言ってよい。

他方、被告によれば、これは既に半金一〇万円(甲第一号証の一)を受領した以上五番四の土地については賃料を貰わないので、残る二筆の三箇月分だというのである。その坪数は約二四九坪であるので、これで月坪当り三円の三箇月分を算出すると、二二四一円となる。これは大雑把に言えば二二一二円に近い数字と言えようが、原告らの主張が一円の誤差もないのに比すれば甚だ見劣りするとしなくてはならない。

従って、証拠上本件三筆の土地に関する賃料は昭和二六年一二月一六日分まで支払われたと認められるのであるが、その後賃料の支払われた形跡はない。被告本人は、この残る二筆については昭和二七年以降も賃料を収受し、五番五の土地が売買せられた昭和三四年五月頃までに及んだと供述するが、裏付けとなる文書は皆無で心証を惹かない。

もっとも、賃料収受の証拠は通常は賃借人側が保管するものであるから、賃貸人であったとする被告にその提出がないのを責めるのは酷な面もあるが、被告は自ら供述するように数千坪の土地を所有し、多くの借地人を有する地主なのであるから、このような地主の通常の管理方法に従い、借地人別の賃料収受明細を記載した帳簿を被告に期待することは強ち無理難題ではないであろう。

しかし、それよりも、昭和三四年六月以降の五の九の土地の賃料収受はどうなってしまったのかという点が、一層問題である。被告主張の通りなら、これは依然として被告の所有なのであるから、賃料を請求すべきなのであるが、被告本人自身この請求をしていないことを認めている。その理由として被告本人は町会長になって忙しかったというのであるが説得力のない遁辞と言う外ない。

原告らの側としても、五番九の土地を所有していると言いながら固定資産税などは払っていないわけであるが、これは移転登記と共に解決すべき問題であるから、その不払で原告らを責めることはできず、原告らが非難されるのは、登記請求を怠ったことである。その怠りと被告の賃料請求の怠りとを比較すれば、後者を大としなければなるまい。登記は対抗要件に過ぎないが、賃料請求は所有土地の管理の実質に関するからである。

九  以上、次々に検討して来た諸徴表に関する心証を総合すると、原告らに有利な点も不利な点もあるが、総体としては明らかに原告らに有利であって、本件三筆の土地が昭和二六年五月二六日に一括して売買されたという原告らの主張は、証拠上これを肯定せざるを得ないと考えられる。

一〇  よって、原告らの第一次請求を認容し、訴訟費用は敗訴の当事者である被告に負担せしめることとして、主文の通り判決する次第である。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 井筒宏成 西野喜一)

〈以下省略〉

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